高松塚古墳

yasuo


先日、大会に参加するため、ご近所のMさんを乗せて車で会場に向かいました。最近、私が行田の稲荷山古墳を見に行ったという話をしたら、Mさんの奈良の実家の農地のはずれに高松塚古墳があり、小さいころは古墳の上で遊んでいた話が飛び出し、びっくり。11歳のころに発掘調査が行われたそうです。当時のビッグニュースで、よく覚えています。




歴史ロマンです。

高松塚古墳とは何か、自分の農地から遺跡が出てきた場合どうなるのか、気になってAI に質問しました。

高松塚古墳のことが気になっているのですね。飛鳥時代や古墳に関心をお持ちなので、ここも外せない場所ですね。

🏺 高松塚古墳とは
奈良県明日香村にある小さな円墳で、飛鳥時代末(7世紀末から8世紀初めごろ)に築かれたと考えられています。墳丘は直径約18メートル、高さ約5メートルほどの比較的こぢんまりした古墳です。(mlit.go.jp)
被葬者は特定されておらず、高官クラスの人物とみられていますが、学説は複数あり決着していません。

🎨 なぜ有名なのか  
石室内部に描かれた極彩色の壁画が決定的に重要だからです。1972年の調査で発見され、とくに次の図像がよく知られています。(en.wikipedia.org)


東西南北の四神像 日月像 男性群像・女性群像(いわゆる「飛鳥美人」) これらは国宝に指定され、日本美術史・古代東アジア交流史のうえで非常に重要な資料になっています。(kkr.mlit.go.jp)

🛡 壁画の保存と公開
壁画はカビなどの劣化が進み、石室から取り外されて別施設で保存・修復中です。文化庁が「高松塚古墳壁画保存管理公開活用施設」を整備中で、恒常的な公開と研究の拠点とする構想が進められています。(bunka.go.jp)
現地では復元石室やレプリカ展示、高松塚壁画館などを通じて、当時の石室内部の様子を学べるようになっています。(kkr.mlit.go.jp)

🗺 現在の高松塚周辺
高松塚古墳周辺は「国営飛鳥歴史公園」の一部として整備されており、遊歩道や解説板が整っているので、周辺の古墳群とあわせて散策できるエリアになっています。(kkr.mlit.go.jp)

高松塚古墳の土地の性格や、その後の「公有地化」の流れが気になるところですね。

🏞 古墳の場所はもともと何だったか
高松塚古墳がある一帯は、発見される前は集落に隣接する丘陵とその周辺の農地が広がる地域で、古墳も長らく小さな「こんもりした丘」のように扱われていました。
昭和四十四年に古墳であることが再認識され、翌年以降本格的な調査・保存が進められます。(bunka.go.jp)
この周辺は戦後も農地が分布していた地域で、古墳の裾から周辺にかけては水田など農地利用が行われていたことが、当時の航空写真や地域史の研究で指摘されています。
つまり「農地の一角にこんもりした小丘があり、それが高松塚古墳だった」というイメージにかなり近い状況でした。

🏛 国・公的機関による用地の取得
高松塚古墳そのものと周辺は、発見後に文化財保護の観点から段階的に公有地化が進められています。 昭和四十七年に壁画が発見され、古墳は特別史跡の指定を受け、国を中心に保存管理が行われるようになります。(bunka.go.jp)
明日香村周辺は「国営飛鳥歴史公園」として整備され、その一地区として「高松塚周辺地区」約九・一ヘクタール分の用地が取得されています。
用地はすでに全て取得済みとされており、民有地から公的主体への買収が進んだことが分かります。(kkr.mlit.go.jp)
この「用地取得」の中には、もともと農地であった土地を国や関連公的機関が買い取る(あるいは県や村が買収し、その後国営公園用地として位置づける)形が含まれます。
公式文書は「農地の一部だった」と明言するというより、「公園区域・史跡保護のために周辺を含めて用地を取得した」と書くにとどまることが多いですが、当時の状況からみて「農地だった土地が公的主体に買い取られた」と理解して差し支えない流れです。

✅ 結論の整理
高松塚古墳周辺は、発見当時は農地が広がる地域で、古墳はその一角の小丘のような扱いだった。
古墳が特別史跡に指定され、さらに国営飛鳥歴史公園「高松塚周辺地区」として整備される過程で、周辺の土地は国や公的機関により用地買収され、公有地化が進んだ。
したがって、「農地の一部だった土地を国(や公的機関)が買い取って、現在のような史跡・公園として整備した」と考えられる。

ということでした。勉強になりました。