道玄坂通

道玄坂通

https://dogenzaka-dori.com/about/


毎週、道玄坂から道玄坂小路を抜け東急本店通りを横切っていましたが、今日初めて昨年完成したビル、「道玄坂通」の中を通ってみました。





近くの東急本店は取り壊され、現在工事中、新しい商業ビルに変身予定。渋谷は生き物のように脱皮を繰り返していきます。

https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1426590.html


Wikipediaから
道玄坂の由来
「道玄坂」の名の由来は諸説あり、鎌倉時代前半まで勢力を持っていた和田氏の一族、または高座・渋谷氏(相模渋谷氏)の子孫だとされ、山賊として暮らしていた道玄という人物に由来するという説や、道玄が結んだ庵(いおり)かどうか不明ではあるものの、坂に道玄庵とよばれる庵があったからとも伝えられる。
鎌倉時代に勢力を振るっていた和田義盛が、北条氏によって一族もろとも滅ぼされた後、和田氏の一族の大和田道玄は数人の一族とともに、現在の道玄坂の坂の上で旅人を見つけては山賊となって、衣類や金品を奪って暮らしていたと言われている。
また、道玄については、相模国の高座郡(現・大和市と綾瀬市付近)に住んでいた高座・渋谷氏の残党という説もある。渋谷氏は、桓武平氏の子孫である秩父武綱を祖とする秩父氏から分派した一族で、鎌倉時代に高座・渋谷氏が滅亡して、その残党が現在の渋谷一帯を領有していた武蔵・渋谷氏を頼って渋谷付近に住みつき、その子孫の一人が道玄で、山賊をしていたと言われている。
道玄坂について、江戸時代末期に著された地誌 『江戸名所図会』には、次のような記載がある。
「道玄あるいは道元に作る。里諺に云、大和田氏道玄は和田義盛が一族なり。建暦三年(1213年)五月和田一族滅亡す。其の残党此所の窟中に隠れ住て、山賊を業とす。故に道玄坂というなり」「或人云。道玄は沙門にして、此地に昔一宇の寺院ありて道玄寺と称したり。故に坂の名に呼び来れるともいひて、一ならず」


街を歩きながら変貌していく姿をみるのも楽しいです。